Works of  Yumiko Yamano

「NONSENSE」@gallery yururi

2019年5月3日 - 6日

11:00 - 19:00

こちらは Web同時展示ページ となります

Aversion of Holes, Flower garden, Unconscious, 妄想着想

テーマごとに分けて4つのページを作りました。それぞれテーマに沿った写真が展示してあります。

アニメーション表示している写真をクリックまたはタップすることで全画面表示します。​

写真を使った動画作品も Movie からご覧いただけます。

「 NONSENSE 」

あることをきっかけにナンセンス文学という存在を知り、大変創造的であることがわかり興味を持った。

そして、大したい意味は無いという意味の言葉、NONSENSEを理解するという大変面白いが難しい作業が続いた。

関連する言葉の検索を繰り返すしたどり着く先には、哲学、心理学、宗教的解釈などが多く、人々が意味を追求することに意味を見出した痕跡を見た。しかし論述のほとんどは結論には及んでいなかった。なぜなら、必ず違う定義に意味を見出し論ずる人が現れるからだ。

この作業を通して、私は今までは持っていなかった「NONSENSEな視点」で物事を見るようになった。私の考えた「NONSENSEな視点」とは、物事には大した意味 (=SENSE) はないこととし、客観し同時に内観することだった。

 

展示の準備に入った時のことを振り返ると、私は選んだ写真に意味を持たせることばかり考えもがいていた様に思う。その行為は気づかないうちに私から体力も精神力も奪っていた。疲れ果てた私は、一度自分と写真の間に曖昧な距離を置き「NONSENSEな視点」で眺めてみることにした。

私の場合、RAW現像という処理を施すことで写真に意味を付けようとしていたのだろうと思った。

*  RAWデータ (情報をほぼそのまま保存した生のデータ) から画像を生成しJEPGやTIFFなどの一般的な画像フォーマットに変換する処理であり、彩度やコントラストの調整などを行うことも含まれる。

 

写真を撮るという行為に対して、過度な現像処理をすることに意味はあるのだろうか。

瞬間を切り取ったはずなのにその一部を改変することで、全てを捻じ曲げているのではないだろうか。

どこかでそう思いながらもこれでいいと自分に言い聞かせて、ずっと何かに対して抗い続けてきたように思えた。

疲れ果てた理由はここにあった。

この気づきにたどり着いた時、肩の力がすっと抜けた気がした。

きっと意味を持たせることで、私という容れ物の中身を必死に作っていたのだろう。

時に思ったようにうまく作れずいらつき、収まりが悪いと思い不安にもなった。

はみ出す勇気が持てず落ち込み、無理に居心地が良いと思い込み息苦しくもなった。

 

容れ物そのものが望んでいた姿なのか化けた姿なのかもわからず、忌々しいと思いながらも同じことを繰り返してきたように思えた。

作っては壊し、壊しては作り、いつしか目的は完成させることではなくなっていたのかもしれない。

このコンフリクトな状態こそが私の存在証明だと思った。私はそこに私を見た。

「NONSENSEな視点」を持つことで思考するべきは意味があるかないかではなく、私があるかないかなのだとわかった。

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